而今について

ラストパス

このブログ、タイトルになっている「而今ノート」の而今について、今回は書きたい。

学生時代が終わった。そして、長い長い足掛け45年にも及ぶ会社生活も終わった。そして昨年から人生最後のステージに入っている。この最後のステージは、当然「死」というものを意識せざるを得ない。この期間に、歳の近い親しい人達との別れがあり、己の身体の衰え、劣化を受け入れ、そして、自分自身の存在が無くなる。多分この10年、長くて20年のわずかな間に、これら、今までの人生で経験しなかった大きな試練が、否応なく確実にやってくるのだ。

そういった状況で、この最後のステージをどのように生きようか、どんな生活をしようか、かなり以前からいろいろ考えていた。結論としては、学生時代、会社時代とは全く違う時間を過ごそうと考えた。無論、過去の二つの時代に培ってきた価値観や正義感やちょっとした勇気は、私の宝物であり大切にする。ただ、いざそう考えても、実際具体的に何をしてよいか正直わからない部分もある。結局わからないまま人生が終わるかもしれない。そうだとしても今までと違う角度で、新しいことを経験したい、吸収したい、チャレンジしたい、楽しみたいと思う。とにかく「なまかわ」の私だから、栄光のゴールまで突っ走るには常にお尻を叩き続けなくてはならない。そのお尻を叩く「ムチ」がこのブログである。

考えてみれば、このラストの期間はまさに「メメントモリ」がテーマである。メメントモリとはラテン語で「人間は必ず死ぬ。そのことを忘れるな」ということである。よく西洋絵画に骸骨などが描かれているが、先日亡くなった山田五郎氏もその点についてはいろいろ話していた。理屈では分かっていることだが、現実の生活の中ではなかなかその心境にはなれない。しかし「死」が近づく歳になってくると、次第に実感として感じてくるのかもしれない。

そして「メメントモリ」をしっかり受け止めて、どのように生きていくか。その方法が「而今」である。「而今」とは禅で言われている「まさに今、この瞬間」と言う意味である。転じて過去や未来に捉われず今を生きるということだが、「メメントモリ」という重い現実を乗り切るには、そこから逃避するのではなく、昇華させたうえで「而今」という生き方をしたら良いのではないか。私がこのブログを「而今ノート」と名付けたのはこういった思いからである。

私は判断をする際、行動を起こす際、心の中で「而今」と叫ぶ。私の中での「而今」は「今でしょ!」である。もうこのステージに来たら、「あとでやる」という選択肢は無い。思いついたら最短距離でやる。過去の人生において、後回ししたことにより苦い経験をいっぱいした。経験則としても「而今」は私の中に生きている。

経験則と言えば余談になるが、私は迷った時に決めているルールがある。行動的に迷った時はより積極的な方を選ぶ。買うか買わないか迷った時は買う。買う際値段の違うもので迷った時は高い方を選ぶ。(というか値段に捉われないといった方が正しい。総じて気に入った物が値段が高い場合が多い。)このルールで、たまには失敗もあったかもしれないが、精神的にもゆとりが出来、結果的に成功している。

さて、今を生きるにはいろいろ技術的なことも必要になる。例えば人間関係。若い時は経験主義というか、よりたくさんいろいろな人と付き合うことが必要だった。その中の何パーセントかが自分のスキルアップに繋がればよい。自分の楽しみに繋がればよい。未来に向かっての可能性も広がるというものだ。もちろん会社時代もそういう部分がある。どこでビジネスに繋がるかわからない。いろいろな人と会うこと。それは結果的には無駄な時間になることも多かったが、それらをコストと考えてもやるべきである。しかし会社人生を終えた今のステージではどうだろう。限られた時間の中、そのような成果が出る確率はいかほどであろう。それよりもその付き合いによって時間を過ごすことが、貴重な残された時間の無駄遣いになりはしないか。単純にコスパが悪いのである。永遠と思われる時間を持っていた時代とは自ずと考え方を変えざるを得ない。

今は本当に気に入った人としか付き合わない。会社時代はいろんな人と付き合わざるを得なかった。今は自由である。今の自分としての付き合いの基準は、「嘘をつく人間」「馬鹿な人間」は排除すること。もちろん馬鹿な人間とは、勉強が出来る出来ないとは関係ない。そういう人間らと付き合わないことで、それらの「負のベクトル」に引きずられず、日々の生活が豊かになる。また、新しい人間関係についても積極的に構築しない。ただ中には魅力的な人間も出てくるかもしれない。その時は別である。が出てきたとしても今後一人か二人であろう。思えば会社時代を終える時、数千枚の名刺を処分した。全てをきれいさっぱり破棄した。今、付き合っていっていいと思っているのはかなり絞って100人ぐらいか。実際この一年で顔を合して共に時間を過ごしたのがその半分ぐらい。その数を年々減らしていく。どうせ、最後死ぬときは一人なのだ。

それと人間関係以外に重要なのは、この十年·二十年のうちでも前半が勝負ということだ。大きくは自分の身体のことである。ピンピンコロリで健康のまま死ぬ確率はもうほとんどない。現実にこの数年身体の不具合に悩まされている。これからどんどん身体動かなくなってくる。それも等差級数的ではなく等比級数的に。身体が動くうちに、頭が切れるうちに経験出来ることはどんどんやっていこうと思う。十年単位ではない。一年単位でもない。それこそ一日単位で而今の精神を生きていく。(心情的には一日だが、実際は計画を立てるのは一週間単位、一か月単位。場合によっては一年で考えているな。ただいつも前倒しを意識している。) まぁ、具体的には目の前のやりたいこと、思いついたことをどんどんやっていくだけだから、何も難しいことは無い。

まぁいろいろ書いたが、「而今」の精神で日々生活している老人のブログということで、(本人は自分のことを老人とは思ってないのだけど(笑))、今後もお付き合い願いたい。

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