先回書いたのが9/5だった。それまでいろんな人達との飲み会で感じることも多々あり、楽しい時間を過ごせているという実感があった。
その日は会社の後輩二人との飲み会で、その二人は子会社の中国現法の責任者だった。上海にあり、当時出張にも行ったことがありその際とても世話になった。その時の上海ガニは旨かったなぁ。またコロナ時期に深刻な人事問題が起きた時、遠隔でいろいろやりとりをして、彼らのおかげで危機を乗り切った。今は二人とも東京勤務である。今回は人形町の豆腐料理の四方八方という店で会った。こじんまりとした、部屋の明るさも落とした落ち着いた雰囲気の店内で、北海道の日本酒を呑んだね。かなり。話も弾んで楽しかったなぁ。途中で、当時現法で働いていた中国人の女性が今は横浜で働いており、電話を掛けたりして盛り上がった。また、二人のうちの一人が最近中国出張したということで、その時のお土産で餞別を兼ねて刺繍の掛け軸をもらった。良かったのかな。掛け軸の入った箱には白手袋も入っていて、高級なんじゃないかな。その優しい思いも含めてありがたく受け取った。
翌日は、月一回行っている昔の居酒屋の常連の会。いつも神田のむさし坊という居酒屋でやっているのだが、先回の時千駄木の蕎麦屋の話になり、ちょっとそこに行ってみようかということになり、先回参加した5人だけで17:30に集合した。いわゆる谷根千は前日の人形町同様かなり久し振りで、とても好きなエリアである。早めに行き日暮里で降りて、外人が多いのに多少閉口したが、生ビール片手にブラブラした。自分の予定では、集合の蕎麦屋のちょうど前に森鴎外記念館があり、そこで時間調整をしようと思っていたが、途中で感じのよさそうなカフェがあり、暑いこともありそこに入りアイスコーヒーを頼んだ。ただ、よく見ると基本的にショットバーの店で、これから飲むというのに、ついウイスキーを飲んでしまった。店内には船の模型とか写真とかがあり、マスターに話を聞くとなんと日本郵船で働いてて三年前に脱サラしたとのこと。(店は6年前からで人に手伝ってもらってたみたい)。今月飛鳥Ⅱに乗るよと言ったら話が盛り上がって、またタイタニックの話にもなって、二杯目はタイタニックというアイリッシュのウイスキーを飲んだ。そうして17:30少し前に店に行ったら、店の前でメンバーの一人である会社後輩のY君が待っていてくれた。
その蕎麦屋はきれいな清潔感のある店で、ご主人が一人で切り盛りしている。まず生ビールを飲みその後はカツ煮を食べながら持ち込みのウイスキーを飲んだ。Y君ともう一人のメンバーが、一時間ぐらい前に店の近くの銭湯の前で偶然会って風呂に入ってきたことや、私のショットバーの話や、今後のこの会の店をどうするかとか、あとはしょうもない昔話。とても盛り上がって21:00ぐらいまで飲んでた。そのあと千代田線千駄木の駅までぶらぶら坂を下り、地下鉄に乗り、Y君は千葉に総武線で帰るので新御茶ノ水で降り、私は日比谷まで行きそこから東京駅まで歩いた。
9/8の月曜日に会社の後輩から突然電話が入った。「Y君亡くなったこと知ってますか?」「えっ、この間一緒に飲んだよ。うそだろ。」「本当です。会社の連絡網で報告がありました。交通事故です。ネットにも出ています。」早速ネットで調べたら確かにそうであった。まさに飲んで別れたあと、自宅近くで交通事故にあい亡くなったとのこと。とても信じられなかった。すぐ件のメンバーにLINEで連絡したら、当然信じられないとのこと。皆ショックを受けていた。
昨日(9/12)お通夜。メンバーと一緒に参列し、Y君の奥さんと話をした。奥さんも夫の最期の一日を知りたかったと思う。私自身、彼が話を交わした最後の一人だと思うとやるせなくなった。彼はいつも通り礼儀正しく、新御茶ノ水の駅に降りる時、「お疲れさまでした。おやすみなさい。」と一礼した。私は片手を挙げ「おぅ、またな。」と言ったと思う。それが最後なんて。
人生は無常であり無情だな。
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