8/15、終戦記念日。最近は敗戦の日という人も増えてきた。確かに意味合いからすればその方が正しい。終戦と濁した表現は、大本営発表の流れを汲むものなのかもしれない。敗戦と自覚することにより、国として反省する必要がある。ただ国民目線からすれば、終戦記念日とはしっくりくる言葉だ。敗戦というよりは、やっと終わったという終戦なのだ。そしてまさに記念日なのだ。それほど酷い状態であった。酷い政府であり、軍部であり、権力者であり、マスコミであった。国民はそれらに蹂躙された。アメリカのジェノサイド、ソ連の8/15以降の火事場泥棒的な行為·日本人の殺戮は、歴史上でみても他に類をみない残虐行為である。ただ当の日本人にとって、それをも凌駕するような当時の日本の為政者であった。権力者であった。戦争を始めたころならまだしも、ミッドウェー海戦後の勝ち目が全く無くなった状況で、市民·若者を犠牲にする発想がどこから出てきたのだろう。責任が取れるのか。アメリカ、ソ連もそうだが、当時の日本の上層部は「人に非ず」である。
靖国神社に行った。だいたいこの20年ほど、毎年この時期に行っている。実際は8/15というよりは、8/12とか8/13に行く場合が多かったが、今年は戦後80年の節目、8/15に行こうと決めていた。寝不足気味だった。いつも靖国に行くときはそんな状態で、多分夏のこの時期あまり睡眠がとれていないのが原因かもしれないが、夏の暑い日差しの下、蝉の声のシャワーを浴びながら少し貧血状態になるのが心地よい。ちょっと変態か。
友人と正午に待ち合わせをしていたが、ものすごい人の数。九段下の地下鉄の駅を上った瞬間身動きが出来ないほどであった。スマホでのやりとりで友人と会うことが出来(便利な世の中になったね)、混雑の中第二鳥居まで行ったが、なんとそこから参拝まで二時間かかるとのこと!! この気温で二時間は老体には危険と判断し、迂回して北門から入り、途中正午になり一分間の黙祷の後、正式な列のトップの横までたどり着いて、斜めからだったがそこで参拝した。賽銭無しで、それも正面ではない参拝も初めてだったが、しょうがない。無理をしないことと心に言いきかせた。
その後靖国通りを下って、早くビールを飲みたいと、通り沿いの中華の店に入る。秦唐記という店でお昼開いているのがありがたい。それも昼時間3時まで。だいたいの店はやっていても2時にいったん閉める店が多く、ゆったり出来ないのだなぁ。この店も、昼メニューだけに、夜と違ってつまみ系は少なかったが、麺に追加するトッピングだけでも注文OKということで、種類的には問題はなかった。ビールのあと紹興酒もボトルで頼んだが、美味しく飲めた。友人とは会社の同期入社で、一緒に旅行に行ったりした仲だ。彼はもう4年近く前にリタイヤしていたのだが、東京で出張の折たまに飲んでいた。先回飲んだのが5月だから3か月振りか。これからはしょっちゅう飲みにいけるけどね。毎日が日曜日の先輩として、いろいろ教えてもらわなければならない。
そのあと神保町の喫茶店でお酒を飲もうと、靖国通りの日蔭側(古書街側)に渡って、結局老舗のミロンガに入った。以前のミロンガが移転していて、ミロンガヌオーバとしてやっていたのだが、そこで角の水割りを飲んだ。この店は初めてでなかなか良い雰囲気だった。が、でもやっぱり前の店の方が良かったな。まぁしょうがない。古いものは物理的にも無くなっていく。また私も歳をとったということだ。44年前に初めて来た時は、初東京の高揚感もあり洒落た店内に興奮した。そんな思い入れも影響したのかもしれない。つまみのクリスピータイプのピザは相変わらず美味かったけどね。ただそんなに量は飲んでなかったのに、酔っ払って眠たくなってきた。最近酒量を控えていたのでそのせいかもしれない。そちらのリハビリも必要だ。
結局ウイスキーは一杯しか飲めず、そこで友人と別れ、神田まで歩いて家路についた。二·三杯は飲みたかったところだが、情けない。それだけの量で酔えるということは経済的かもしれないが、若い時と違うからね。なんの有難味もない。今こんな程度の経済的なんて必要性は全くないからな。飲める時には金が無く、金がある時は飲めない。か。世の中うまくいかないものだ。
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